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「ライオンとうさぎ」
シバは、気の優しい、ライオンでした。 優しいというよりも、すこし、臆病だったのかもしれません。 狩りにでかけた兄弟が、無事かえってくるだろうか、年配の父が、今日も元気でいるだろうか、一人暮らしの母は、寂しがってはないだろうか、と、いつも、気苦労がたえません。 今日は、いい天気なので、草原でゆったりと過ごそうと、出てきたのですが、そうすると、もう、留守の家のことが、気になって仕方ありませんでした。 ひとりで子守りしながら留守番している、妹に、近所でも有名な乱暴者が、ちょっかいだしはしないか、とか、まだ小さい弟たちが、狼に襲われはしないか、と、いった具合です。 でも、シバは、それが、自分の取り越し苦労であることも、よくわかっていたので、そのことで、なにか具体的な行動を起こそうとすることもありませんでした。 お日様に暖められた、草原のベッドは、寝そべってみると、それは気持ちのいいものでした。 「あぁ、毎日、こんなベッドで眠れたら、どんなにいいだろう」 シバは、あまりの気持ちよさに、ぐーっと伸びをしながら、吐き出すように、声にしました。 そのとき、寝転んだ、頭の近くから、がさがさっと、誰かが飛び出しました。 「うわっ」 突然のことで、驚いてしまって、あられもなく声を出して飛び起きてしまいました。 その声で、飛び出した誰かは、立ち止まって、こちらを、じっと見ています。 それは、ちいさな、かわいい、うさぎ、でした。 「急にでてくるから、驚いたじゃないか」 取り乱した自分に腹をたてて、すこしぶっきらぼうに、シバは苦情をいいました。 「急に寝転んだのは、あなたのほうよ。驚いたのは、こっちだわ」 うさぎ、は、言い返しました。 「それは……、そうかも知れないけど、おまえ、うさぎのくせに、生意気だな」 言い負かされそうになって、苦し紛れに、ライオンの威風をなびかせます。 「うさぎだったら、ライオンを見たら、何も言わずに、一目散に逃げるのが、ほんとうじゃないのか」 実際、そうでしょう。また、彼女がそうしていたら、シバは反射的に襲いかかったに違いありません。 「ライオンだったら、何もいわないで、襲いかかるのじゃないの? あなた、少し変だわ」 もう、すっかり彼女のペースです。 「今はお腹いっぱいだからさ。お腹ぺこぺこだったら、おまえなんか、とっくに胃袋のなかさ。そうして、胃袋のなかでも、憎まれ口をたたけるかい」 シバは、そんなつもりは、もうすっかりありませんでしたが、強がってみました。 「胃袋のなかでは、何も言えないわよ。そんなの……、当たり前じゃない」 うさぎは、言い捨てて、立ち去ろうとしました。 「おい、ちょっと待てよ。どこへ行くんだ」 「おうちへ帰るの」 「ふん、家は、どこなのさ?」 「……どうして、そんなこと聞くの?」 「いや、それは、だから……、襲われると困るだろうと思ってさ」 「ふふふ、あなたって、面白いこと言うのね」 「なにがさ」 「だって、襲われるって、今まさに、そういう状況だと思うけど?」 「ば、ばかっ、ぼくは、襲ってないだろ!」 「そうね。ふふふ、あなたって、ほんとうに、面白いわ」 「ばかにしてるのか?」 「違うわ。ほんとにそう思うの。ほかのライオンとは、全然ちがうのね」 「どこがさ?」 「だって、普通だったら、わたしは、もう、食べられちゃってると、思うもの」 「そうなのかな……」 「そうよ。パパなんて、あ、と言う間もなく、食べられちゃったのよ」 「……そうか、ごめん……」 「あなたが、あやまることじゃないわよ。あなた、ほんとに変だわ」 「と、とにかく、家まで送るよ」 「かまわないけど……わたし、ライオンを家へ案内することになるのね……わたしも、変ね」 「そうかい?」 「そうよ。変よ、あなたも、わたしも」 「まぁ、いいじゃないか、そんなの。とにかく、いこう」 「うん……」 シバは、うさぎを、家まで送ってゆきました。 シバは、うさぎを、とても大切に守るように、送ってゆきました。 それからも、何度となく、うさぎを訪ねては、いろいろ、お話をしてすごしました。 たまに天気のいい日は、草原で寝転んで雲の話をしたり、雨の日は、木陰で雨つぶの冒険の話をしたりも、していましたが、ふたりとも、あまり、おしゃべりな方ではなかったので、たいていは、一緒にいても、あまり話すことはありません。静かにお互いのことをやりながら、ときおり話す、というふうに、過ごすのが、ふつうでした。 でも、そんな静かな時間が、シバは大好きでした。うさぎと過ごす時間が、シバには、とても大切な時間になってきました。一緒に過ごす、ということが、とても、愛しくて、つまり、シバは、うさぎのことが、好きになっていたのです。 そして、ついに、シバは、決心しました。 「ぼくは、きみのことが、大好きみたいだ。これから、ずっと、きみと一緒にいたい」 「え……だって、あなたは、ライオンなのよ。うさぎと、ライオンが一緒に暮らすなんて、そんなの無理よ」 「そんなの、関係ないよ。これまでだって、ずっとうまくやってこれたじゃないか」 「それは、お互いの食事を見せ合ってないから……だから、うまくやってこれたのよ。そこは、考えないようにしてたのよ。でも、一緒に暮らすとなったら、そういうわけにいかないじゃない……。無理よ、絶対無理」 うさぎの目に、うっすらと涙が浮かんできました。 「だから、ぼくは、決心したんだよ。ぼくは、もう、肉を食べない。絶対に食べない。約束する」 「そんなの、無理にきまってるじゃない」 「無理でも、決めたんだ。きみと、一緒にいたいんだ」 うさぎは、長い間黙って考えていましたが、やがて、なにかを決意したように、言いました。 「わかったわ。わたしも、あなたが好きなの。一緒に暮らしましょう」 「ほんとかい! 嘘じゃないよね!」 「ほんとうよ。でも……、約束は、守ってね」 「もちろんさ。ぼくは、もう、肉を食べないよ!」 「……お願い……、肉って言わないで……」 「あ、ごめん……、と、とにかく、今日からぼくは、草と木の実で生きていく」 「……うん……」 「大好きだ、大好きだ、大好きな、きみと、ずっと一緒だ!」 「わたしも、大好きよ」 そうして、シバと、うさぎは、一緒に暮らしはじめました。 ライオンとうさぎが、一緒に暮らすなんて、聞いたことがありません。この噂は、あっという間に広まりました。いろいろ言うものもありましたが、ふたりが仲良く暮らす様を見ていると、みんな、静かに見守ろう、と、いう気持ちになってきました。それくらい、仲良く、幸せそうにくらしていました。 最初、なかなか食べられなかった、草や木の実も、だんだんと、食べられるようになってきました。それでも、やはり、ライオンはライオンなのです。十分な栄養をとることは、とてもできなくて、シバは、日毎にやせ細ってゆきました。 「なに、少し太ってたから、痩せてちょうどいいのさ」 と、最初のころは強がっていましたが、だんだんと、その元気もなくなってきました。 「ねぇ、やっぱり無理なのよ。わたしに見えないように……、その……、食べても、いいのよ……」 うさぎは、心配して言いました。 「大丈夫だよ。ありがとう、心配しなくていいよ」 強がる声に、あまり元気がなくて、ますます心配になってきました。 そうして、しばらくたった、ある満月の夜に、シバは、夢を見ました。 テーブルの上に、おいしそうな生肉が、山盛りになっています。喉がごくり、と、なり、生唾が、湧いて出てきます。 「いやいや、約束は約束だ。たとえ夢でも、ぼくは食べないぞ」 最初のうちは、頑張っていましたが、空腹で、お腹が、ぎゅるぎゅる鳴いています。 「……でも……夢のなかくらいは」 と、崩れだすと、あとは、もう、なだれのようです。 「夢だもんな。いいよな。夢の中くらい……」 シバは、おずおずと、テーブルに近づくと、肉片をひとつ取り上げて、食べてみました。口の中に、肉の味がじわっと沁みわたり、感動で身体中が痺れます。 「……! なんて、おいしい肉なんだ!」 もう一切れ、また一切れ、と、シバは次々と、口に運び、歯ごたえを楽しみ、味に痺れ、喉越しに快感を覚え、あっという間に、山盛りの肉を食べきってしまいました。 「あぁ、おいしかった! 満腹だ!」 と、思った瞬間に、目が覚めました。 身体には、まだ、肉を食べた感触と、満足感が、残っていました。 急に、後ろめたくなって、ふと、隣に寝ている、うさぎを見ました。そこに居るはずの、うさぎが、いませんでした。そのかわりに、乱雑にちらばった、毛と、少しの、血のあとが、ありました。 「あれ? どうしたのだろ?」 寝ぼけた頭で、まわりを探しますが、どこにも、うさぎはいません。 そう、シバは、寝ぼけて、うさぎを食べてしまったのです。 そのことに気づいたシバは、一瞬で、身体中の血が、さーっと下がって、凍りつくような感覚に襲われました。 「ぼくは……、ぼくは……、食べてしまった」 しばらく、呆然としたあと、一筋涙が流れました。そのあとは、もう、とめどなく、涙があふれてきました。 「ぼくは、なんてことをしてしまったんだ。ぼくは、食べてしまった。あんなに、約束したのに、たとえ夢でも、食べたらいけなかったんだ」 「いや、あのとき、無理せずに、外で食べるようにしたら、こんなことには、ならなかったのに」 「あんな夢、見なきゃよかった」 「大好きだったのに」 「まだまだ、一緒にいたかったのに」 「どうして、ぼくはライオンなんだろう」 「どうして、うさぎになれなかったんだろう」 「ぼくが、死んだほうが、ずっとよかったのに」 「ぼくが、食べてしまった」 泣きじゃくりながら、後悔ばかりが、口をつきました。 いつのまにか、シバは、駆け出していました。泣きじゃくりながら、どこへともなく、駆けていました。どこまでも、どこまでも、駆けていきました。 涙は、いつまでも、あふれてきて、目玉をとろかしてしまいそうでした。 何も食べずに、休むこともせず、水があっても、森があっても、朝も、夜も、何日も、何日も、ただ、泣きじゃくりながら、駆けてゆきました。 いつしか、みたことのない山をのぼっていました。どんどん、登ってゆくと、木々がなくなり、草がなくなり、そうして、あたりは一面の雪になりました。 「真っ白な雪だ。この雪のなかにずっといれば、ぼくも真っ白になって、うさぎになれるかな」 涙をあふれさせながら、そんなことを思っていました。 もう何日も、何も食べずに、走りどおしで、しかも、雪の冷たさで身体も冷え切っています。それでも、シバは、走り続けました。 だんだんと、足取りは重くなり、一歩をだすのが、困難になってきましたが、シバは、進むことをやめませんでした。 そうして、最後の一歩をだそうとしたまま、シバは、とうとう、動かなくなりました。 お日様に暖められて、ふかふかのベッドで、幸せに眠る夢をみながら 最後の最後に、夢で、シバは、真っ白な、うさぎに、なれたのです。 |